古典派シンフォニー

百花繚乱

 

ヨゼフ・ミスリヴェチェク

Josef Mysliveček 1737-1781


 イエズス会による音楽教育が盛んに行われていたボヘミアからは多くの音楽家が育ちましたが、プラハに流れるヴルタヴァの川辺の製粉所に育ったミスリヴェチェクもそんなボヘミア出身の音楽家を代表するひとりです。

 彼は若くして家業である製粉マスターの資格をとりますが、音楽家としての修養も怠りなく、20代そこそこでシンフォニーを書くほどの腕前を示すようになります。父の死をきっかけに家業を弟に譲り、職業音楽家となる決意を固め、1763年にヴェネツィアに赴きオペラの作曲を学び始めます。

 翌年、最初のオペラ〈メデア〉がパルマで上演され大成功をおさめ、イタリア各地の劇場から委嘱が舞い込むようになります。特にナポリで人気が沸騰、生涯でオペラ上演のため9度も同地を訪れています。

 ミスリヴェチェクというイタリア人には発音しにくい名前から、「超人的なボヘミア人 il divino boemo」と呼ばれ、時代の寵児となったミスリヴェチェク。貴族の女性、プリマドンナと浮世を流し、豪奢な生活から支出が上回り窮地に陥ることもしばしばあったということですが、人間は、その心から湧き上がる音楽同様、大変魅力に富んでいたとのこと。

 モーツァルトは最初のイタリア旅行でミスリヴェチェクと知己を得、親密な交流が始まります。ミスリヴェチェクのオペラとモーツァルトのオペラ、特にイタリアで書かれた後者の〈アルバのアスカーニョ K.111〉や〈シピオーネの夢 K.126〉を比べると、いかに若きモーツァルトが彼から絶大な影響を受けたかが分かります。ミスリヴェチェクのオラトリオ〈アブラハムとイサク〉が、一時期モーツァルトの作品とされていたという話もうなずけます。

 アルプスの北では必ずしも好評ばかりとはいかなかったというミスリヴェチェクのオペラですが、1777年にはバイエルン選帝侯の依頼でミュンヘンを訪れています。そこでモーツァルトと再会を果たしましたが、しかし、この時のミスリヴェチェクは梅毒を患っていたと思われ、鼻が医者の不適切な処置によって焼け落ちていて、その顔を見たモーツァルトは夜も眠れないほどの大変なショックを受けています。彼の部屋に感染を恐れてか入ることができず、庭に出てきてもらって話をするほどだったと、モーツァルトの手紙にその時の様子が詳しく書かれています。

 ミスリヴェチェクはほぼこの時を最後に、新作オペラが当たらなくなり赤貧の内にローマで没しました。

【J.ミスリヴェチェクの肖像画】


[ヨゼフ・ミスリヴェチェクのシンフォニーを聴く]

序曲(シンフォニア)第2 イ長調


 ミスリヴェチェクはなによりもオペラの作曲家で、生涯で30余りの舞台作品を書いています。それらの作品には、管弦楽だけで奏でられる「序曲」が付随していますが、この時代のイタリアの序曲は、必ずしもオペラの内容に添ったものとは限らず、まるで関係のない楽想による、幕が開くのを今か今かと待ち遠しくなるような、開幕を飾るにふさわしい急緩急のコンパクトな曲がつけられるのが普通でした。モーツァルトがイタリアでの上演のために1772年に書いたオペラ〈シピオーネの夢 K.126〉や〈ルーチョ・シッラ K.135〉などにも同様のスタイルの序曲が付されています。

 さて、それらの序曲ですが、ミスリヴェチェクや少年モーツァルトが活躍していた時代、オペラから独立されて演奏されることが多くなり、作曲家は序曲に本来の役割を超えた、独立した管弦楽作品を意識するようになっていました。

 この頃のオーヴァーチュア(序曲)はシンフォニアと名づけられることが多く(例えば「フィガロの結婚」序曲もそう)、両者には実質的な違いはありませんでした。次第にオペラの序曲が独立して急緩急3つの楽章からなるシンフォニーになってゆく過程をここに見ることができます。両者の呼称の混在は18世紀中には普通に見られていました。

 ミスリヴェチェクは、オペラの序曲以外にその倍量にも及ぼうかという量のオペラとは関係のない序曲(シンフォニア)を残しています。貴族の館などで需要があったのでしょう。その中のいくつかは印刷・出版されています。ボヘミアの作曲家の得意とする管楽器の扱いに秀でた序曲は、貴族の館の音楽会に彩りを与えたことでしょう。

 また彼は、管楽器だけによる合奏曲、特にハルモニー・ムジークと呼ばれる、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本からなる編成のために技巧的な名作を残しています。


 ここでは1772年にロンドンで6曲セットで出版された序曲の中の第2曲を聴いてみましょう。

 第1楽章は、1オクターブの音階のグリッサンドで華やかに開始され、小鳥がピーチクパーチクするような饒舌で快活な音楽。ユニゾンで音階を奏でる展開部を経ても、バスの8分音符の刻みは推進力を失いません。第2楽章では管楽器はおやすみ。機嫌のよい楽想が係留を経たりメランコリーに傾げたり豊かな表情を見せてくれます。終楽章は少女が腰に手をあて軽やかなステップを踏んでいるようなうきうきする曲です。

*関連動画はこの曲とは異なるシンフォニーです。

(2018.5.11)


【関連動画】

J.ミスリヴェチェク:序曲(シンフォニア)第4 ニ長調

オルフェオ・バロック・オーケストラ、ミヒ・ガイク(指揮)☆