古典派シンフォニー

百花繚乱

 

エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(E.T.A.ホフマン)

Ernst Theodor Amadeus Hoffmann 1776-1822


 エー・テー・ア・ホフマンという呼び名をクラシック音楽に親しむ人なら一度は耳にしたことがあるでしょう。同時代作曲家への的を射た数々の音楽批評は今でも引用されることが度々ですし、オッフェンバックのオペラ〈ホフマン物語〉の主人公や、チャイコフスキーのバレエ音楽〈くるみ割り人形〉の大元の原作者ということからもその名が知られています。

 我々が漠然と抱くそんなエー・テー・ア・ホフマンのイメージは、文学者でありながら作曲も手がけていたらしい、というところでしょうか。

 実はホフマンの本職は法曹家。気概にあふれていたため、ぶつかり合いが多々あったとはいえ、晩年には大審院の判事として国家権力の不平に対しても頑とした態度で臨む強面の裁判官だったのです。

 その本業と並行して、もしくは職が得られなかったときに自分の道を模索するように様々な職業に手を伸ばしました。

 若い頃には画家を夢見たこともあり(ここの掲げられた肖像画はホフマン自身の手によるもの)、歌劇場の演出、舞台美術、機械仕掛けまで引き受ける監督業。そして文学者としては、幻想的な物語の数々、『ファルンの鉱山』『悪魔の霊液』『蚤の親方』などを残しました。

 音楽評論の分野でも多くの記事を書いています。『ベートーヴェンの第5シンフォニー』では、引用譜とともに詳細にわたる楽曲分析を展開し、このシンフォニーがいかに奇跡的なものかを深い洞察力をもって語っています。(ベートーヴェンはこれを読み感激し、ホフマンに礼状をしたためています。)

 またシューマンやワーグナーに深い影響を与えた、楽長ヨハネス・クライスラー(ホフマンの分身)に音楽について語らせる『クライスレリアーナ(〈カロー風の幻想画集〉より)』などの著作物があります。ここでは楽譜は引用されず、音楽が史上最高の神聖な芸術であることを熱心に証明する文章が綴られています。

 今日、E.T.A.ホフマンはこのような文学作品から、ドイツ・ロマン派を代表する文学者として圧倒的な存在感を示していますが、ホフマンにとっては音楽こそが天の啓示、至高の芸術であり、実は音楽家として名を残すことが夢だったのです。

 事実、弱冠23歳で3幕からなるジングシュピールを作曲し、以後カンタータやオペラといった大規模な作品を書き連ねます。3幕からなるオペラ〈ウンディーネ〉[1816]は、ヴェーバーからも称賛が寄せられた通り、ドイツ・オペラを語る上で無視することのできない作品となっています。

 さて、我々のテーマであるシンフォニーですが、幸いなことに一曲が残されています。ワルシャワ時代(晩年のホフマンが幸せな時代だったと振り返り語ったという)の1806年に書かれたものです。

 二十代も終わろうとしていたホフマンはロマン派文学を読み漁り、その傍ら音楽の研究にも精を出し、ワルシャワでは奔走して音楽協会を設立し、演奏会用に借りたホールの改装後の杮落としで指揮台に立ち、モーツァルトやハイドンの作品と並べて、この変ホ長調の自作のシンフォニーを演奏しました。

 ホフマンは作曲家として数々の劇作品、ミサやミゼレレなどの宗教作品にも筆を染め、そこでは手の混んだ巧みなフーガを聴くことができます。また、クラヴィーアのためのソナタ、ハープ五重奏曲、クラヴィーア三重奏曲などはかなり聴き応えのある名品たちです。

 それらの名作を中心に徐々に復活上演される機会が増えているとはいえ、亜流作曲家というレッテルが取れるまでにはまだ時間がかかりそうな様子。音楽におけるエー・テー・ア・ホフマンのこれからの復権を大いに期待したいところです。

【E.T.A.ホフマンの自画像】

【ホフマン、日本版の著作】


[エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンのシンフォニーを聴く]

シンフォニー 変ホ長調 [1806]


 E.T.A.ホフマン、実は親が名付けた3番目のキリスト名はヴィルヘルム(Wilhelm)でした。ホフマン自身が大好きなモーツァルトにちなんでアマデウスに差し替えこの名になったという経緯があります。

 そんなホフマンはとりわけモーツァルトの変ホ長調シンフォニー(第39番、KV543)がお好みで、彼の著作物にも理想化されたロマン派の象徴として一度ならず登場します。というわけでしょうか、彼がシンフォニーを書くにあたって選んだ調性も、冒頭部分も、また主部が3拍子ということも、全くその憧れの人のシンフォニーと同じように始まります。

 ホフマンのモーツァルト好きは事実ですし、この神童からの影響の数々は後の学者によっても度々指摘されてきました。しかし同時に「ハイドンこそ私の師匠である」とも述べているホフマン。

 第1楽章主部のテーマ同士の緊密性、モティーフ(動機)で組み立てて行く手法、そしてそのドラマ性など、確かにハイドンのロンドン・シンフォニーの後に続くものと位置づけることができるしっかりとした構成の作品になっています。ベートーヴェンも1806年の時点では第3番までしかシンフォニー書いていないのですから、ホフマンの独創性が決して亜流のものではないことがお分かりいただけることでしょう。田園風で歌謡に溢れる第2楽章は変イ長調をとり、穏やかに色彩を替えて行く様にうっとりと聴き惚れてしまいます。メヌエットの第3楽章はハ短調のカノン。ホフマンは器楽曲の作曲について、外見上の気まぐれを装うことの大切さを説いていますが、ここでもカノンの先々での突発的な転調などの楽しさが格別です。快活な第4楽章ですが、半音の合いの手、急激なテーマの交代が様々に織り込まれ、彼の小説のように驚きと機知を与える優れたフィナーレになっています。

 ちなみに、幻想奇怪でファンタジーの横溢する文学作品に比べて、ホフマンの音楽は古典的でいささか残念と揶揄する評論を見かけますが、ホフマンの没年は1822年。上にも書いた通り、このシンフォニーが書かれた1806年はベートーヴェンでさえ傑作の森といわれる中期に足を踏み入れたところですので、そこにベルリオーズのような音楽を期待する方が間違えというもの。むしろ特に我々古典派愛好家にとって、ホフマンのこの作品は十分に個性的で魅力溢れるものであり、古典派シンフォニーに傑作が加わったことに感謝することはあれども残念がる必要は全くないのです。

(2015.4.15)


【関連動画】

E.T.A.ホフマン:シンフォニー 変ホ長調 [1806]

コンチェルト・バンベルク、ロルフ・ベック(指揮)