古典派シンフォニー

百花繚乱

 

ベルンハルト・ハインリヒ・ロンベルク

Bernhard Heinrich Romberg 1767-1841


「さすらいのヴィルトゥオーゾ」と呼んでもいいでしょう。チェロを片手にさすらいの生涯を送ったロンベルクは、ミュンスターの領主司教の楽団で、チェリストでありファゴットを演奏していた父親の元に生まれ、チェロの名手として幼い頃から特別な才能を開花させます。

 ベルンハルトには、ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾでやはり作曲もしたアンドレアス(Andreas Jakob Romberg 1767-1821)という従兄がいました。この二人は「神童ロンベルク兄弟」として、ドイツ国内はもとより、アムステルダムからパリまで広範囲にわたる旅をしながら少年時代を過ごします。

 1788年には一時ボンに腰を落ち着け、啓蒙選帝侯マクシミリアン・フランツ下に置かれたオーケストラに所属。同僚には、ライヒャ(Anton Reicha)、そしてベートーヴェンがいました。ベルンハルトは、3つの小さなオペラをここで作曲しています。

 しかし、ボンに花開いた文化はナポレオン軍の侵入により阻まれ、1794年には楽団も解散されてしまいます。兄弟(実際は従兄弟)は、ハンブルクに逃れ、そこでオーケストラ団員の職を得ますが、すぐにオーストリア、イタリアに及ぶ旅に出ます。1796年にはウィーンでベートーヴェンと再会、彼の作品5のチェロソナタを共に演奏する機会を得ています。

 翌年兄弟はハンブルクに戻ると、アンドレアスはこの地にしばらくとどまることを決意。ふたりの協働はここまでとなります。

 その後ベルンハルトには名誉ある申し出が各所からありましたが、一所にとどまることなく転々と活躍の地を替えていきます。1801年にパリ・コンセルヴァトワールのチェロの教師になりますが、1804年にはベルリンへと旅立ち、王立プロシア宮廷のオーケストラに就職するも2年で辞め、ウィーンのキンスキー王子のオーケストラで働いている姿を見たかと思うと、1809年にはモスクワやサンクト・ペテルブルクに彼を見出すという調子で、さすらいのヴィルトゥオーゾの旅は続きます。軽やかさと上品さを備えた彼のチェロの演奏は、各地で「現在世界最高のソリスト」、「初めてのチェロのヴィルトゥオーゾ」などと絶賛されます。

 1814年にベルリンに戻り、翌々年には宮廷楽長に推挙されますが、1819年にスポンティーニがこの街の音楽総監督に任命されると、職を辞してまた演奏旅行を繰り返し、さらなる名声を獲得してゆきます。1831年になるとハンブルクに基本的に住まうようになり、裕福な晩年を過ごしたということです。

 ベルンハルト・ロンベルクの残した作品のジャンルは多岐にわたりますが、中でも彼の楽器であるチェロのための作品がなんといっても多く、コンチェルトと膨大な数のコンサート・ピース、そして教則本が残されています。ロンベルクのコンチェルトは今でもチェリストの、主に教育期のレパートリーとなっています。フルートのためのコンチェルトも比較的よく演奏されています。弦楽四重奏曲、ピアノ四重奏曲、数多くの様々な弦楽器の組み合わせによるトリオやデュオ。さらに劇場のための作品などを残しました。

 シンフォニーは3曲が現存。その他におもちゃの楽器を用いた〈子供シンフォニー〉作品62が比較的よく知られています。

【B.H.ロンベルクの肖像画】

 

[ベルンハルト・ハインリヒ・ロンベルクのシンフォニーを聴く]

プロイセン王妃ルイーズの追悼のための〈哀悼〉シンフォニー(第1番) ハ短調 作品23


 シンフォニーを書く機会になかなか恵まれなかったロンベルクですが、プロイセン王妃ルイーズの死去に伴い、シンフォニーで哀悼の意を表そうと、40歳を過ぎてこの器楽曲の偉大なジャンルに初めて筆を染めました。愛国の王妃の逝去に悲しむ民衆の空気を映すこの哀悼シンフォニーは、しかし公に依頼がなされて書かれたわけではないとのこと。最初に公の場で演奏されたのは作曲されてから時が過ぎての1811年12月、所もライプツィヒででした。

 作品は、沈鬱な痛みを覚える葬送行進曲から始まります。途中、優しく美しい情景が広がりますが、再び行進曲に戻ります。この葬送行進曲は長大な序奏的役割も兼ねられていて、曲はアレグロの主部にアタッカで入っていきます。このアレグロは充実のソナタ形式で、少なくともはっきりしたテーマが3つと、その合間に推移主題が入り込んでいるので、あたかもポプリのような様相を呈しています。提示部と再現部のコーダは激しく、そしてドラマティックな展開部をもっている大掛かりなソナタ楽章になっています。その後、花の園に憩うような穏やかなヘ長調の緩徐楽章に曲はつながります。次第に陰りが濃くなってくると、「より動きをもって」と指示された次の楽章に。ハ短調で吹き荒れる嵐はフーガ調になって別離の悲しみを嘆くかのようです。再び冒頭の葬送行進曲が戻ってきます。そこへオーボエがハ長調の旋律を持ち込むと、フルートとファゴットがそれに応え、曲調は穏やかな明るさに満たされます。王妃の魂を最後は天の楽園に導こうという趣向なのでしょう。

 ベートーヴェン後の現代の耳で聴いても、かなり聴き応えのあるシンフォニーに仕上がっているこのシンフォニー。古典的な楽章構成から離れ、全曲が一綴りにつながってゆく、散文的で交響詩的な要素のある興味深い作品です。当時においても1812年に2台ピアノ版が出版されるなど、人気を呼んだシンフォニーでした。

(2016.3.12)


【関連動画】

B.H.ロンベルク: プロイセン王妃ルイーズの追悼のための〈哀悼〉シンフォニー(第1番) ハ短調 作品23
ケルン・アカデミー、M.A.ヴィレンス(指揮)☆